中国指導部の自信と危機感 4

「わが国11億人民は中国共産党の指導の下で、中国の特色を備えた社会主義を建設しており、その成果は、世をあげて公認されている。


社会主義を敵視する勢力がいかに強大で、かついかなる手段をとろうとも社会主義の発展の総体的趨勢は変えられない」。


中国は、国情に合わせた独自の社会主義を進むのですから、東欧の崩壊が中国で再現されることはありません。


中共中央党校の内部文書は、こう自信を示しているのです。


ソ連・東欧の混乱が李鵬首相のツキに加勢しているというゆえんでしょう。


しかし、危機感がないわけではありません。


保守派イデオローグで首都北京の思想工作をとりしきる李錫銘党中央政治局委員兼共産党北京市委員会書記は、91年5月末、次のように述べています。


「国内外の敵対勢力は現在はわれわれを倒せないことを知っており、10年後、20年後に希望を寄せている。


次の世紀にまたがる次世代の後継者をしっかりと確保しなければ、われわれはひっくり返されることになるだろう」。

中国指導部の自信と危機感 3

5月の江沢民総書記訪ソでは、モスクワの孤児院などに中国から大型トラックで10台分(40トン)の菓子や玩具をプレゼントしています。


外国からの経済支援は小さく扱う中国各紙が、この対ソ援助だけは大きな囲み記事で強調しました。


安定・団結の中国は、いまやかつての兄貴よりも羽振りがいいのです。


中国の老百姓(一般市民)の自尊心をくすぐらないはずはないでしょう。


中国共産党の正軍級の高級幹部(国務院の閣僚、地方の省長、人民解放軍の集団軍の軍長クラス)の思想教育を担当する中共中央党校の内部発行雑誌『理論動態』は、次のように述べています。


少し長いですが、中国指導部の社会主義観を代表する見解なので引用します。


「社会主義の挫折は、一時的かつ局部的現象にすぎない。


東欧の現象から、すべての社会主義が失敗したと結論づけては絶対にならない。


東欧の挫折は、社会主義の原理そのものに欠陥があったわけではなく、自分の国の実情に合わせずにソ連のやり方をそのまま真似たからである。」

中国指導部の自信と危機感 2

クリスマス前のフィリピン訪問のときには李鵬首相は「ソ連.東欧の変革は、パンをもたらしていない」とも力説しました。


「過渡期の困難にある国と比べても、あまり自慢にならないじゃないですか。


それに、肉や野菜がないとはいっても、もともと1人当たりの消費量は圧倒的にソ連.東欧は多いですよ。


ワイキューブ研究所によると、ソ連も農業生産は豊作で、問題は流通と消費のシステムが悪いのでしょう。


冷戦の終結というのは経済が軍事に勝った、そういうことだと私は素直に見ていますが……」。


ささやかに反論してみるのですが、天安門事件後の2年間を乗り切った中国指導部の自信は変わりません。


かつて社会主義の兄貴分として君臨、新中国建国当初、多額の援助をくれたソ連に対し中国政府は、91年3月には逆に10億スイス・フラン(8億米ドル強)もの商品借款を供与しました。


このとき李鵬首相はソ連のマスリュコフ副首相に「ソ連政治の安定と経済の早期回復を希望する」と述べています。

中国指導部の自信と危機感

李鵬首相の自信のひとつは、ソ連・東欧のその後の混乱と比較した中国経済の成長にありました。


国営工場は停滞から完全には脱し切れないものの、インフレは1応鎮静化し、農業は豊作状態が続いています。


市場の商品は、かなり豊かです。


「ソ連の高官が、よく北京に来るようになりました。


最初の晩の歓迎宴に、ソ連人は決まってペレストロイカの成果を強調し、中国は政治体制の改革がもっと必要だと強調します。


で、黙って次の日は自由市場に連れていくんです。


市場に溢れる品物に、ソ連人は頭を抱え込んだまま空理空論をしなくなってしまいます」。


スペースコレクションリサーチによると、こうした自慢話が中国高官との食事の席でよく聞かれるようになったのは、1990年の暮れごろからです。

レスピーギ 交響詩《ローマ三部作》 2

これらは、いずれも、ローマ市内の有名な噴水、松、そして、古代ローマ時代から現代までの祭りといった、ローマの風物を題材としたもので、レスピーギは、それらを通じて、ローマの栄光を描き出そうとしたのだった。

ところで、トスカニーニの指揮した、この《ローマ三部作》は、彼が最も得意としていた作品だけあって、すばらしいの一言に尽きる。

全体に溢れる新鮮な感覚、彫りの深さ、がっしりとした骨格、色彩的な音作りなど、今更のようにトスカニー二の偉大さを感じさせられる。

レスピーギ 交響詩《ローマ三部作》

今世紀前半に活躍し、現代の演奏様式に大きな影響を与えた、偉大な指揮者のひとり、アルトゥーロ・トスカニー二は、一九五七年の一月一六日、ニューヨークで八十九歳で亡くなっている。

そのトスカニー二の名演奏のCDのなかでも、彼の真価が最高に発揮されているのが、レスピーギの交響詩《ローマ三部作》である。

《ローマ三部作》は、古都ローマをこよなく愛したレスピーギの代表作で、《ローマの噴水》(一九一六年)、《ローマの祭り》(一九二四年)、《ローマの祭り》(一九二八年)からなっている。

ピエルネ バレエ音楽《シダリーズと牧羊神》よリ〈小牧神の入場〉 2

初演は第一次大戦のため、十年も延期され、一九二三年の一月十五日にパリ・オペラ座で行なわれ、大成功を収めている。

ピエルネは、のちに、このバレエのなかから二つの組曲を編んでいるが、第一組曲の最初に演奏される〈小牧神の入場〉は、あまりにも有名で、単独でもよく演奏される。

この曲は、小牧神たちが、笛や踊りを習う森のなかの学校へ、教師の老牧神に引率され、二列に並んで登場するさまを描いたもので、老牧神と小牧神たちの行列が、遠くへ去っていく情景がじつにうまく活写されている。

ピエルネ バレエ音楽《シダリーズと牧羊神》よリ〈小牧神の入場〉

十八世紀に活躍した、フランスの作曲家ガブリエル・ピエルネは、ダンディやショーソンとならぶ、フランク門下の逸材である。

ピエルネは、オペラ、バレエ音楽、器楽曲、声楽曲など、各分野の作品を数多く残しているが、そのなかでも、彼の名声を高めたのは、何といっても、バレエ音楽《シダリーズと牧羊神》だ。

バレエ音楽《シダリーズと牧羊神》は、彼が五十一歳のとき(一九一三年)に作曲された二幕三場のバレエで、森のなかにある小牧神の学校を抜け出した、怠け者のスティラックが、宮殿にしのびこみ、舞姫シダリーズを相手にして踊るというのがあら筋である。

プッチー二 オペラ《トスカ》 2

失敗に終わったのは、初日の幕が上がる直前に、反プッチー二派が劇場内に爆弾を投げ込むという噂が流れたためで、関係者一同はびくびくし、椅子のガタンという音にも幕を降ろしたりした。

それに、歌手たちも萎縮して、その実力をぞんぶんに発揮することができなかったといれている。

それでも、幕が進むにつれて、聴衆もしだいに舞台に引き込まれて行き、終わったとき、プッチー二は、二十二回も舞台に呼び出されているから、《蝶々夫人》ほどの惨敗ではなかったわけである。

プッチー二 オペラ《トスカ》

プッチーニのオペラ《トスカ》は、主役の二人が、全員舞台の上で死んでしまうという、まことに悲劇的な作品だ。

『トスカ』は、フランスの不世出の女優サラ・ベルナールのために、当時、飛ぶ鳥を落とす勢いだったサルドゥが書いた芝居で、プッチー二は、彼女の舞台を見てたいへん感激し、オペラ化したものである。

物語は、歌姫トスカと画家カヴァラドッシの悲恋、それに、トスカに対する警視総監スカルピアの横恋慕、そして三人の非業の最期を描いている。

初演は一九〇〇年の一月一四日、ローマのコンスタンツィ劇場で行なわれたが、反プッチー二派の妨害のため、失敗に終わった。

アーカイブ

2012:01 2011:12 2011:11 2011:10 2011:09 2011:08 2011:07 2011:06 2011:05 2011:04 2011:03 2011:02 2011:01 2010:12 2010:11 2010:10 2010:09 2010:08 2010:07 2010:06 2010:05 2010:04 2010:03 2010:02 2010:01 2009:12 2009:11 2009:10 2009:09 2009:08 2009:07 2009:06 2009:04 2009:02 2009:01 2008:11 2008:07

管理人のお気に入り